【神尾文章工房】

本を読んでいる人で、小説を書いてみたり嘱託職員をしていたりポンコツだけど生きているみたいです。

「さくや」問題。

コノハナサクヤビメを知らないとしても。

 高屋奈月の『星は歌う』の主人公の名前はサクヤなのだけれど、職場の子育て中の同世代の人に訊くと、サクヤという名前は男の子っぽいというのだそうだ。まあ、少女マンガのイケメンキャラにそういうのがいたりするから、そういう見方ができるが、その人は自分ほど、少女マンガを読んでいない。そうなると、何故に男の子っぽいのだろう? そんなに男の子の名前でサクヤは多いのか? 有名芸能人でそういう人はいたっけ? ビジュアル系バンドにはいそうだけれど。
 ともかく、サクヤの語源は日本神話と歴史書のハイブリッドの古典である『古事記』からであるが、天照大神から地上を治めるように言われた、孫のニニギノミコトは地上で見初めたコノハナサクヤビメを娶った。その際に、サクヤビメの父親から姉のイワナガヒメも嫁にしろと言われたが、ニニギは顔が醜かったことを理由にそれを拒否した。結果として、コノハナサクヤビメの美しさは反映を意味するが、その子供は木の花が枯れるように儚くなる、ということになった。つまりここで神様の子孫に寿命が設定されてしまったということ。ちなみにふたりの子供は後の山幸彦とかで、その孫が初代天皇神武天皇に繋がっていく。
 ある種の日本神話でヒロインともいえる最初の存在はイザナミなのだけど、イザナギが振り返った結果、ゾンビのままだったとので、穢れの概念が生まれたという話になる。天照大神はある意味では猛々しいので、何か守られるようなイメージを持てない。そういう意味ではコノハナサクヤビメは日本神話の最序盤のヒロインなのかもしれない。ただ妊娠したらニニギに不義の子供ではないかと疑われたので、産屋に火を放って出産したので、今では安産の神様と扱われている。
 ちなみに、ある小説家の娘さんは上記のコノハナサクヤビメに使われた漢字(『古事記』と『日本書紀』で違う)で、咲耶という名前にしたそうな。まあ、チアキとかアキラとか、どっちでもOKな名前という扱いでも良いんじゃないかという結論に今は達しておく。

現在の読書。

 『生徒会の一存』シリーズ、と自分は読んでいるけれど、最序盤の杉崎がゲスじゃなく、敗北していたら、逆に敗北の味と、西園寺のキャラクター性をより強く印象付けられたんじゃないかと個人的には感じる。それでも、生徒会役員になってしまえるのが杉崎鍵は結局、生徒達に愛されているのは良く分かる。そして、まずは西園寺のトラウマを解消し、味方へ引き込むことになっていて、杉崎主役の話だよなぁ、と実感させてくれる。相変わらず、ギャグは多いが。でも、もうちょっとバランス良ければ杉崎鍵は一応イケメンで有能かつ人当たりの良いリア充なはずなのに残念になるのは、共感性を失わせないためなのかもしれない。

本日の走破。

 2.2kmで12分19秒40。ギアチェンジはしなかったから割と遅い。ギアチェンジをすれば、もっと早く走れるけど、細く長く走ることをまずは目標とする。後に残らないことがジョギングのこつ。しかし、なかなか痩せない。負荷を上げるには、もうちょっと身体が出来たらする。ハードな走り方はまだしないことにする。

充分じゃないな。

正直、満たされない気分は続く。凄く、帰りに買い食いでラーメンとか食いたくなる。身体に悪いけど。そして、小麦粉は太るんだよね。それとは別に物欲収まらないんだよね。

 サーフェス pro 3とかのタブレットがね……電子書籍を読むために。12インチは無いとワイドコミックとかは読めないんだよね。でも高い。windowsタブレットはもちろん高い。androidだとサイズも値段もちょうど良いのがレノボとかいう罰ゲーム。
 IPadも足りないとは思っていたけど、今度出るIPad proとかいうのが12.9インチとかいう充分過ぎるサイズ。なお値段は高い。結論として、勝ってしまうと中途半端に満足してお金が無くなるというお約束なんだよね。何かが足りないと、何かを足したくなる。何か不備があればそれを埋め合わせたくなる。この手の心理は己の不完全性を否定するためにそれを埋めようする感情が働くのだろうとは理解する。それではいけないし、不完全性は認めるべきことなのだけど、理性を超えたところで欲求というのは働いてしまう。ただ、それをコントロールするのも人間の能力だったりする。
 自分は相当な問題を抱えている人間だとはもう認めているけれど、超えちゃいけないラインを突破する人間が毎日のように三面記事を飛び交う状況を認知するたびに、何でそうなるんだよ? という気分になってくる。自分が我慢できていることを、何でお前らできないんだよ! という怒りに近い感情すら覚える。もうちょっと、静かにして変な自己主張をするの控えるだけでこの世界は少しマシになると考える。だけどエゴを完全に殺せという意味ではない。そこのバランスを見極めないといけない。

最後に。

 たぶん、ストレス回避方にご飯か走る方法に全てを注いでいる気がする。でも、走ると本を読む余裕が無くなるのだ。勉強もしないといけないし、ちゃんとできない。ダメだな。色々と。これを自覚したまでは良いんだが、その次へ行かないとな。