【神尾文章工房】

本を読んでいる人で、小説を書いてみたり嘱託職員をしていたりポンコツだけど生きているみたいです。

現実と虚構のちょうど良い狭間。

本日の読書。

ラブコメ今昔

ラブコメ今昔

『ラブコメ今昔』の二つ目の話まで読了。
やはり、こういう無さそうで有りそうな、ちょうど良い具合の話こそ小説――それこそフィクション――に必要な要素と言える。
もちろん、世の中が幸福と不幸のバランスがグッチャグチャでも、フィクションにおいてとやかく言うことなく、普通に楽しめや、という気分になる。
有川さんが、未だに自分をライトノベル作家だと言うところに、登場人物のキャラクター性に少し現実から差違が生じていることに有る。
とはいえ、ドラマにしても映画にしても演劇にしても、良くある風景を表すのならまだしも、主役も平凡すぎたら面白くはないのである。
そういう意味では、肩肘張らずに読むにはとても面白く、体験的には悪くない気分になれる作品と言えるのです。

走る、走る。

今日も2㎞を走る。正確には、2.2㎞歩いて、2.2㎞を走るという形。まあ、さすがにいきなり走ると脚に来るのは経験上、知っている。
さて、走るときにタイムを計るということをあまりやってこなかったが、ストップウォッチを手に入れたので使ってみた。
結果、2㎞を走って12分を切ったところ。言っておくけど1500m走の中学生の日本記録が4分を切る世界であることを考えれば非常に遅い。
運動不足であるということもさることながら、正直に言ってスロウペースで彼らが走ったとしても10分なんて絶対にかからない。
とりあえず、どれだけ走れば10分を切るのだろうか、ということを考えているけど11月くらいには距離を伸ばすので、そこが重要になる。

ローテーション。

平日7時は『NHKニュース7』→『クローズアップ現代』→『ハートネットTV』というローテーションを組んで生活をするだけで、世間的なことを知れると感じる。
よく、中学校で法律とか教えろよ、って意見を見ると、そうなんだけどやらないし、これほど自助努力の必要とする分野はあるんだなと知れる。
で、それを知るのにはニュースがひとつの生きるヒントなんだろうなと。もちろん、偏向報道とかの問題はあっても日常的な刑事や民事の問題を、
ニュースなり新聞で触れることは必要だと思うが、そこで憤るのではなく、認識して自分がそういう場合において、どう対処するかを認識しておくことだ。
ある小説か何かで、認識するだけじゃ意味はないと言う言葉があった。それは、真実だけど、今は認識すらできない人がいるとなれば、その言葉すら通じない。

最後に。

まだ、リハビリ感覚。この文章を書くには、大した労力ではない。
走るより楽。だけど、もう少し効率良く、この行動以外のこともできないといけないとは考えている。
何しろ、秋アニメを色々と録画しようとして、失敗しまくって中途半端に既になって、視るに視ない結果に終わりそうで嘆きそうになる。
で、そうなってくると、悔やむ気持ちになるけど、最終結論として気にするな、というオチになる。
考えてもしょうがない、そういうことばかり。でも、そういうくらいの気持ちになれないと生きていけない。本当に。